母の葬儀の喪主を務めた時のメインテーマは「型にとらわれず美しく送る」

4年前に母が他界し、長男の私が喪主を務めることになりました。
喪主というのは、人生でそう何度も経験するものではありませんよね。おそらく、一生に一度も経験しない人のほうが多数派なんでしょう。

私もその時が初体験。
ただ、私は大学3年の時に父を亡くし、そのとき喪主を務めた母の様子を一番近くで見ていましたし、葬儀社との折衝も母のとなりで聞いていたので、そのときの記憶にずいぶん助けられました。「まったくの初体験」っていうわけでもなかったんですよね。

それと、母は長患いだったし、高齢でもあったので、生前、自分の葬儀についてこんなふうにしてくれという希望も、いくつか話していました。それも、実際に葬儀社と打ち合わせする際の大きな手助けになりました。

最近「終活」がちょっとしたブームになっているようですね。私の経験からも、ある程度の年齢になったら、ぜひ自分の葬儀について、プランニングすることをおすすめします。自分のためというより、本人のプランニングが残っていると、遺族、特に喪主が大助かりだからなんですよ。

さて、そんなことで母の葬儀準備は、比較的スムーズに行ったと言っていいでしょう。葬儀社と特にもめることもなく、予算も当初のイメージよりはちょっと嵩みましたけれど、それは「おふくろのためにこうしてやりたい」と、意識的にぜいたくをした結果ですから、まったく後悔はありません。

先ほども言いましたが、母は長患いでしたので、最期はできるだけ美しく送ってやりたいと考えました。

特に凝ったのが花です。
母は大の花好き。
特に蘭やゆりなど、華やかで派手な洋花が好みでした。

そこで、祭壇には菊は一切使わず、淡いピンクと白中心の、華やかな花で飾ったんです。
葬儀の祭壇としては異例だったかもしれませんけれど、葬儀社の人にもほめられましたし、けっこう好評でしたよ。

プロである葬儀社の人の意見を聞く必要はありますが、あまり型に囚われず、故人の好みを活かしながら、自由な発想でプランニングしたほうがいいんじゃないでしょうかね。

頭の固い親類中には「非常識」という人もいましたが、私は「これがおふくろの遺言なんですよ」ということで押し通しました。

その後の法要についても、経験から感じたことがいろいろありますが、それはまた、別の機会にお話ししますね。


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